3・11

あの日のあの時間、僕は会社でいつも通りに仕事をしていた。静かな揺れが続いたあと、徐々にその揺れが大きくなっていった。最初は、「地震ですね」と笑いながら同僚と話していたが、徐々に顔から笑みが消えた。モノにしがみつくのがやっとで、必死に揺れが収まるのを待った。揺れが収まってからは、同じフロアの人全員で避難をし、ツイッターなどで情報を集めながら時間を過ごした。帰宅命令が出て、3時間掛けて歩いて帰り、すぐさまテレビをつけると映画や漫画の中のような出来事がこれでもかと流れていた。

その悪夢から2週間が過ぎた。被災地では避難所生活がまだまだ続いているし、関東でも被爆等の恐怖と隣合わせで生活をしている。この悪夢は、僕が生きてきた中で、一番悲惨な出来事として記憶されていた阪神大震災よりも多く人の命を奪った。行方不明者もまだまだいる。

「自分でできることをやろう」こんな台詞をあちらこちらで見かける。もちろん、僕も自分に対して自問自答している。募金、ボランティア、節電 等々・・・たくさんある。本当にいろいろあるし、すでに実行しているものもあるけど、どうしても役に立てないと感じてしまう対象がある。それは、「死」と直面してしまった人たちへ対するものだ。地震津波、避難生活、本当に多くの苦しい場面が映像で流れてきているが、実際の「死」の場面というものは日本では出てこない。だが、海外のメディアには平気で出てくる。遺体安置所に置かれ、変わり果てた遺体と対面した家族が写った画像などを見て、残された人たちに対して僕が何を助けられるのだろう、と思った。

最低限できることはやって、自分でできる生活を今まで通りに目一杯過ごしたい。そして、「死」に直面してしまった人たちに対しては、今はただただ祈りたい。